みなさんは親や上司などから注意されたとき、「ウザいな…」って思っていませんか。
私も昔はよくそう思っていたので、その気持ちはよくわかります。
しかし今は注意されることはありがたいことだというように、考え方が変わりました。
「言われるうちが華」だなんて言葉もありますしね。
あなたも、注意されるということにどんな意味があるのかがわかれば、きっと私のように考えが変わるかもしれません。
本質を把握していなければ、注意できない
まず注意というものは、何がいけないのか?どうしてダメなのか?という本質を把握していなければできません。
つまるところ、 注意される側には原因があり、またその点について改善すべき理由がある のです。
原因もなく一方的に言ってくるとしたら、それはただの私怨にすぎません。
約束を守らないことはいけないことだ、ということは一般論ですから、わざわざ言わなくともわかりますよね。
ではなぜ”約束を守らないことがいけないこと”なのか、という部分についてもわかりますか?
そう、端的な答えとすれば”人様に迷惑がかかるから”ですよね。
つまり「約束を守らないことは人様に迷惑がかかることだから、いけないことなんだよ」ということを伝えるために注意をするわけなんですね。
もし わけもわからず注意を受けたら、なぜそれがいけないのか?について逆に聞いてみるといい でしょう。
そこで納得できるような理由が返ってきたなら、それは正当な注意ですが、納得できなければ理不尽な注意で私怨によるところが大きいといえるでしょう。
注意してくるのは、期待がかけられているから
前項で、注意することには原因と理由があるということを説明いたしました。
ここでは、なぜ注意してくるのか?という本題に移ります。
なぜ注意をしてくるのか、その理由は…ずばり、 あなたに期待をしているから です。
人間は、期待を勝手に他人にしてしまう生き物 なのです。話が少しずれますが、期待を勝手にしてしまい、その期待を裏切られたと勝手に感じることによって怒りの感情が生まれるのです。
逆にその期待に応えることができれば、当然相手は喜びます。
そしてその期待をするのは、好意・関心を持った相手に限ります。
(ここでの好意というのは、年齢や性別関係なく、人間的にその人のことを好意的にみている、という意味です)
注意されないのは、どうでもいい人間だから
注意される人がいる一方、逆に注意されない人もいますよね。
「あの人は何も言われてなくていいなぁ…」とうらやましく思っているかもしれませんが、それは大きな勘違いですよ。
どうでもいい人だと思われているから、言わないのです。
わかりやすいのは、何度注意しても直らない人に対しての対応です。
注意する側が最初は口うるさく言っていても、改善がみられなければ、そのうち愛想をつかして言わなくなってしまいます。
みなさんもそんな経験ありませんか?
このように注意しても直らない、つまり 期待を何度も裏切られると、その相手のことはどうでもよくなっていく のです。
それもそのはずで「どうせ、言ったって聞いてくれないだろうな」「言ってもムダだな」と、諦めが入ってくるからです。
するとその人間への興味関心が薄れていきますから、関わりたくなくなるのです。
確かに、どうでもいい人には関わろうと思いませんもんね。
つまり 注意されないということは期待も関心も持たれていない、どうでもいい人扱い なのですから、決して喜ばしいことではありません。
ここまでの内容をまとめると、自分に関心や期待を持っていてくれているからこそ、注意するわけなんですね。
逆に関心も期待もされていない人間は、注意もされないのです。
注意されるということは、自分のことを期待してくれてる、興味を持ってくれてる、好意を持ってくれてるんだ…と考えたら、注意されることも多少は苦にならなくなるでしょう。
今まで注意されたくないなぁ、嫌だなぁと思っていた方も、少し考え方が変わったのではないでしょうか。
好きの反対は無関心ともいわれますから、言われるうちが華というのはあながち嘘ではないということなんですよ。
でも、一番いいのは注意されるような原因を作ってしまわないことですから、そのことは常に念頭に置いておきましょう。
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