誰しも嫌いな人間の一人や二人くらい、必ずいますよね。
そしてあなたの周囲にも、周囲から嫌われている人間がいるのではないでしょうか。
嫌われる人間には、ある特徴があります。
以下でその特徴を紹介しますが、当てはまっている項目が多ければ多いほど、嫌われ度が高いといえるでしょう。
約束を平気で破る
人間関係はお互いの信用のうえに成り立っています。
そのため一度信用できないと思われたら嫌われてしまい、周囲の人との関係が悪化していくのです。
信用できない人の特徴として、約束を平気で破る ということがあげられます。約束するということは、必ずその事柄が履行されるものだと相手は期待するわけです。
そうでなければ、約束する意味がありませんからね。
しかし実際に 約束が破られてしまう、つまり期待が破られてしまうと、当然相手に対して怒りや動揺といった不愉快さを感じる ようになります。
自分を不愉快にさせる人間のことに好感を持つわけがありませんから、信用もなくなりますし嫌われてしまうのは必然 です。ちなみに、一部の最低な人間は約束を平気で破ったあげくに、こちらがどうして約束を守れなかったのか問いただすと、言い訳したり嘘をついてきたりもします。
約束を破るだけでも最低なのに、言い訳や嘘をつくなんて、いったいどんな神経をしているのか考えられませんよね。
素直に謝らない
約束を破るなどして相手に迷惑をかけてしまったら、当然謝るのが筋 です。素直に謝ってくれれば、過ぎたことは仕方ないと許せる部分もありますしね。
ところが 自分に非があるにもかかわらず、素直に謝らない人も世の中には存在 しています。
そのような人たちは概してプライドが高く、謝ることはつまり自分の負けを認めることになるとして、かたくなに謝ろうとしないわけです。
そして 自分は悪くないと言い訳して、どうにか責任の所在を自分からずらそうと必死になるというのが、謝らない人の黄金パターン です。
こんな言い訳を聞かされたら、とうてい許す気持ちなんてさらさらなくなってしまいますよね。
それどころか自分が約束を破っておいて、何言ってるんだ!と怒りはますますヒートアップすることでしょう。
またこのようにプライドが高い人は謝ってくれたとしても、仕方なしにイヤイヤ言っているのが丸わかりということも多く、心からの謝罪はしてくれないものです。
謝られないのも嫌ですが、だからといってイヤイヤ謝られるのも腑に落ちませんよね…。
とりあえず 一言ごめんなさいと謝る、そんな簡単なこともできない人間は嫌われて当然 ですね。
すぐ言い訳をする
他者から責められたときに、すぐ逃げ口上から始まる人。
謝らなければならない場面で、自分の非を認めるどころか逆上して御託を並べる人。
このように、 言い訳をする人間は嫌われます 。
なぜならこちらは謝罪の言葉やその理由を求めているわけなのであって、言い訳は聞きたくないからです。
そのため言い訳するということは、見当違いなことを言っているわけですから、こちらが聞きたいことについて理解できない人というように受け取ります。
つまり、 早い話が言い訳する人とは意思疎通ができない わけです。
こちらの話が通じないわけですから、そもそも話をすること自体が意味ないですよね。
まともに会話が成立しないのですから、そんな人間は嫌われるというよりも誰からも相手にされるわけがない のです。嘘をつく
言い訳とコンボで使用されることも多いのですが、 嘘をつくということも嫌われる要因 となります。
当然のことですが嘘をつかれてしまうと、その人の人間性が信用できなくなります。
そもそもなぜヒトが嘘をつくのかというと、自己保身するためなのです。
ときには他人のためにつく嘘もありますが、 嫌われる人がつく嘘は十中八九自分を守るための嘘 となります。
自分が怒られたくないから嘘をつく、自分がよく見られたいがゆえに嘘をつくわけですから。
そこでうまく嘘と思えないような嘘をつける人は、一周回ってかっこいいですけどね。
そんな人は地頭もいいですし、計算しつくされているのでそうそうバレることもありません。
逆に、 嘘をつききれない人間ほど浅はかでカッコ悪いものはない ですよ。
それなら最初から嘘をつかずに、ありのままの自分を貫き通せばいいのに…と思いますからね。
しかしなぜか、嫌われる人がつく嘘は不思議とすぐにバレるんですよね。
おそらく自己保身に必死すぎて、つじつますら考えられないためだと考えられますが、見ているこちらとしては、あまりの稚拙さに怒りを通り越して失笑してしまいます。
なれなれしい言動をする
他人に対してフレンドリーな人って、気さくで好感度が高いですよね。
ただしその フレンドリーさが行き過ぎると、ただのなれなれしい無礼なやつになってしまって嫌われてしまいます 。
よくあることわざで「親しき仲にも礼儀あり」というようにいくら仲がよくても、礼儀はわきまえていなければなりません。
それに自分では親しいと思っていても、相手は親しく思っていないかもしれない―――つまり相手との間に温度差があるかもしれません。
ふつう他人との距離感は少しずつ詰めていって、徐々に親しくなっていきます。
ところが 嫌われる人は、距離感をいきなり詰めてくる のです。
たいして会話もしたことないのになぜか呼び捨てタメ口だったり、軽々しくボディタッチをしたりなど。
これらの言動は相手からすれば、親しくもないのになに?!と不信感を抱かせるものです。
特に異性間や上司部下間の場合、一方的になれなれしい言動をするとセクハラやモラハラになる可能性もあります。
もちろん相手が納得しているのであれば、問題はありません。
ただ 相手の気持ちを考えずに、自分のものさしによる言動を行うと嫌われてしまう のです。
また、上司に対しても平気でタメ口をきくような無礼者もいますが、これは自分を過大評価しているといえるでしょう。
自分はエラい・すごいと過大評価しているからこそ、上司というキャリアや年齢で敬わなければならない人物に対しても対等にタメ口をきいてしまうというわけです。
そのくせ、中身はたいしたことないので当然嫌われます。
冗談が通じない
冗談が通じないのは、まじめなだけで嫌われることと関係ないのでは?と思うかもしれません。
たしかに、まじめな人には冗談が通じないことが多いです。
しかし、だからといってまじめな人=嫌われる人にはなりません。
あくまで、 嫌われる要因の一つに冗談が通じないという部分がある だけです。
それはなぜかというと、冗談が通じないというのはコミュニケーション能力に問題があるからです。
もっとわかりやすく言うならば、なんでもかんでも言葉の譜面どおりに受け取ってしまうわけです。
つまり 物事を多角的にとらえることができないため、冗談も冗談とわからない のです。
冗談が通じないことは悪いわけではありませんが、ただ人間的なおもしろみにはかけます。
極端な話をいうと周囲が談笑していても、一人だけ「いったい何がおもしろくてみんな笑っているのだろう?」と、まじめに考えてしまうわけです。
正直、嫌われる要素としてはたいしたことはありません。
しかし上記のように 会話をしていて周囲との温度差が開くと、つきあいにくい人として距離を置かれる ようになってしまいます。
空気が読めない
場の空気を読むことは人間関係を築くうえでとても大切なことで、空気が読めない人は嫌われます 。KYなんて言葉がはやったのも、空気が読めない人間にうんざりしている人たちが大勢いることを示しているといえますね。
空気が読めない人は「今そんなこと言わなくてもいいだろう」というような、突拍子もない発言をします。
会話の内容をちゃんと聞いていれば、とうてい場にそぐうとは思えないようなことでも、平気で言ってしまうのです。
なぜ空気を読めずに発言をしてしまうのかというと、ずばり自己中心的だから です。つねに自分中心でしか物事を考えていないので、周囲の会話の脈略おかまいなしで、思いついたことをポンポン発言してしまうわけです。
周りの人はこいつ、何を言っているんだ?と凍りつくわけですが、KYな人はそんなこと気にもしないし、その雰囲気に気づいてすらいないでしょう。
空気が読めない人は空気を読む努力をそもそもしませんし、できません 。なぜなら、それが彼らの自然体であるため、直せと言われても直しようがないのです。
よく言えば天然ということにもなるのでしょうけれど、嫌われ者たちがそう称されることはありません 。天然と言われるのはあくまで、そのキャラを差し引いても好かれる人柄を持っている人にかぎられます。
いっぽう嫌われ者たちは、周囲からただの空気読めないおバカと思われています。
その人が好かれているか嫌われているかで、天然と呼ばれるかKYと呼ばれるかわかれる わけです。協調性がない
学校や職場といった集団のなかでは、他人と協調していかなければなりません 。そこで自分勝手なことをしていると、たちまち嫌われ一人になってしまいます。
ところが 嫌われる人はことごとく協調性がなく、遅刻や欠勤も平気でしますし、約束だって破ります 。
共同作業をしていても、自分には関係ないと言わんばかりの態度で一人だけ先に帰ってしまったりということも…。
嫌われ者たちには、どうやら仲間意識というものが欠如している ようですね。自分は自分!他人に合わせる気なんてさらさらありません、といったところでしょうか。
はたまた、嫌われていることを自覚しているからこそ、あえて協調しないのかもしれません。
いずれにせよこのような考えの人間は、学校や職場では周囲の足並みを乱すやっかい者として嫌われます。
一般常識がない
他者の人間性を見るときに、学歴よりも一般常識の有無を重視する人は少なくありません 。いくらいい大学を出ていても、一般常識がないというだけで軽蔑される人もいるほどです。
しかし、いったいなぜ一般常識を知らないと嫌われるのか、不思議に感じる人もいるでしょう。
別に一般常識といっても、知らなくても困らないようなこともたくさんあるわけです。
それに、すべての事柄を周知していなければならないというわけではありませんし、雑学王になれというわけでもないですからね。
ただし、 これくらい知っていて当然でしょうというレベルのことすら、わからないというのはあまりに無知すぎます 。
たとえば現在の総理大臣が誰なのかも知らない、消費税がいくらなのかもわからないというのは、一般常識以前の問題です。
このような、ふつうにニュースを見ていれば嫌でも耳に入るようなことですら、知らないとなるとその人の教養レベルをうたがってしまいます。
ひいてはその人が親からどんな育てられ方をしてきたのかというところにも、疑惑が及びます。
教養のレベル=人間のレベルと考えられてもおかしくはありませんから、無知な人間は低レベルな人間とみなされ、嫌われてしまう のです。嫌われる人というのは、基本的に自分のことしか考えていません。
自分を守るためなら言い訳もしますし、嘘もつきます。
つまり早い話が自己中ということになります。
自己中だからこそ、嫌われるといってもいいでしょう。
また一般常識がない、協調性がないなどの部分から、興味関心はつねに自分が興味のあるものにしか向けられないともいえるでしょう。
早い話が、他人に興味がないのです。
他人に興味がなければ、自分が好かれようが嫌われようがどうでもいいわけですから、当人にとっては自己中心的な言動でも問題がないわけです。
そして本人が問題を自覚しないかぎりどうにもなりませんから、周囲はもうお手上げ状態となります。
そんな嫌われ者とは、距離を置いてつきあうしかありません。
まともにつきあっていたらこちらのストレスがたまる一方で、ツラい思いをしなければなりませんから。
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